表紙>創作物企画>企画一覧>「特攻戦士神風/五分間七人討伐」>企画概要


神風計画推進事務局


創作物企画

「特攻戦士神風/五分間七人討伐」(仮)

作品詳細
企画概要
制作費公開
物語内容
登場人物
検討稿
技術者紹介
出演者紹介
予告編

企画概要

民富田智明が21歳の時に描いた「10年後の自分」という課題の超級英雄活劇「特攻戦士神風」が、20年後の40歳前になって、「鬼神童女遊侠伝」シリーズの派生的基幹シリーズとして始動する!

「特攻戦士神風」シリーズ全体としての企画概要は、「神風計画概要」ページに簡潔にまとめているので、そちらをお読みいただいて、ここでは第1弾短編作品「五分間七人討伐」に絞り込んだ概要を記載します。

この「五分間七人討伐」は、文字通り、5分間という極めて短い時間の中で、7人の悪党を討伐するお話です。

シリーズ第1弾を超短編にする理由は、「自分自身が、大学の課題と一人芝居実験映画以外に、本格的な実写映画を作ったことがないから、まずは実験的な作品から始める必要があるから」です。

長編映像紙芝居「狸」が、勢いだけで取り組んで、完成までに24歳から30歳までの6年間を費やしたという反省から、いきなり長編、しかも絶対的に人がいないと成立しない実写映画で長編は、正直無謀ということが分かっているからです。

なので、まずは、関東入間屋一家の最高幹部をそろえるという名目のもと、「悪役7人を5分間で倒す映画」から取り掛かることにしました。

小道具に使う拳銃はすでに保管してあるので、課題は仲間集めと、衣装集めです。
一発ネタの超短編なので、ドラマ性は犠牲にして、一番重要なアクションを撮り切ることを目標にしています。
というか、民富田智明はアクションにしか興味がないので、ドラマ性など最低限納得のいく「敵を倒す理由」さえ伝われば、単純であればあるほどいいと思っています。
小難しいメッセージを伝えようとする映画であればあるほど、そもそも何が見せ場なのかわからない退屈な映画になってしまう例は数多く見てきています。
「社会派」とか「ポリティカルサスペンス」とか謳っている映画ほど、全然面白くなくて寝てしまうことが多かったので、背伸びして大人びようとすればするほど、泥沼にはまってしまう気がします。
そもそも、映画は「活動写真」であって、「写真が動くからすごい」というところからすべてが始まっているので、重厚なドラマ、というのは後付けのものです。
「誰がどこで何をした」ということが明確になっていれば、実験的な短編映画としては十分だと思います。

「五分間七人討伐」は、「入間原堅次郎扮する特攻戦士神風が、関東脅征会の営利誘拐犯を倒し、少女を救って妹の契りを交わす」という基本路線をもっとも簡単にまとめあげて原型とするという点に意義があります。

もっとも簡潔な原型が、もっとも重要な根幹を成立させるので、60分、90分、120分の長編も、あくまでも派生形となります。

そういう意味で、「五分間七人討伐」は、原点にして究極形、ともいえるのかもしれません。

「神の啓示を受けて戦う」という発想自体は、すでに「処刑人」という先行映画があります。
なので、着想そのものに唯一無二の独自性があるわけではありません。
さかのぼれば「ジャンヌ・ダルク」もそうですし。
しかし、あれは、キリスト教を背景にした神託英雄譚であって、神道的背景において成立した「特攻戦士神風」とは微妙に前提とする感性が異なっています。
とはいえ、「王権神授説」を例に出すまでもないですが、「神の啓示」を戦いの正当性に用いることは洋の東西問わずに行われてきたことです。
なので、「神」を絶対的上位者として担いだ上での「自己尊厳」というのは、古い新しい、先行後進、とは関わりなく、普遍的な試みといえるでしょう。
共通していることは、「信心」がそうさせている、ということでしょうか。
違うところは、神道的な背景として「神は穢れを嫌うから禊ぎ祓う必要がある」という前提となる考え方があった上で、「特攻戦士」という発想が成立している、ということでしょうか。

ところで、「特攻」「神風」というと、どうしても旧日本軍の愚策にして悲劇「神風特攻隊」を連想しやすいです。
が、日本の戦争の歴史における「特攻隊」を侮辱するような意図はまったくなく、むしろ往年の暴走族の「特攻服」から連想した神道的ファンタジーであるということは、一目瞭然でしょう。
暴走族が「特攻」とか「神風」とか「憂国烈士」とか、意味もなくそういう言葉を使いたがるのは、右寄りの学校である「国士館」に不良が多かったからだそうです。
右翼思想の根底には本居宣長など国学者による復古神道の考え方があったりするので、神道的な考え方を背景とした「特攻戦士神風」は、現実の暴走族よりもむしろ正統派の「特攻服の活用方法」といえるかもしれません。
厳密には、修験道の系譜にある浄土思想を背景に取り入れた神仏習合の価値観なので、仏教的な要素を排した古来の神道に立ち返ろうとする復古神道とも違うのですが、神道的価値観を根底に置かない限り、「特攻」の本来の意味には到達しないのだろうと思います。

民富田智明はアクションにしか興味がないわけですが、21歳の時点で「10年後の自分」として「特攻戦士神風」という存在に到達したのは、それくらいに神道的な考え方に興味があったからなんでしょう。
過激な形に誇張した、神意の代行としての祓いと禊ぎの物語なのです。

作品詳細
企画概要
制作費公開
物語内容
登場人物
検討稿
技術者紹介
出演者紹介
予告編

▲このページの上部に戻る






戻る