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神風計画概要
「特攻戦士神風」とは
「特攻戦士神風」は、民富田智明が東京工芸大学芸術学部映像学科に在籍していたとき、3年生の映像表現研究室の夏休み課題「10年後の自分を主人公にした30枚程度のドラマ」として描いた「虚録・特攻戦士神風~オタクたちの挽歌~」が原型になっています。
10年後の自分を主人公にしたドラマでありながら、思い切りアクションヒーローとして大ぼらを吹いたエンタメに仕立ててあります。
内容は、「神の啓示を受けて悪党退治専門の暗殺者として裏稼業に生きている自分が、橋の下で拾った小学生の妹と安アパートで暮らしながら、悪の少女誘拐組織と対決して壊滅させる」という、男の浪漫丸出しのファンタジーとなっています。
創造の意図と経過
なぜ、そのような、どう考えても先生の想定を思いきり逸脱した脚本を書いたのかといえば、「10年後の自分を現実的に描いたところで、何も面白いことなんてないだろう。野郎の日常生活なんて見たいか? 他人の脚本を読むって結構面倒くさいし、面倒くさいことを他人に強いるなら、どうせなら娯楽として割り切って、嘘八百でも面白いほうがいい」というのがありました。
夏休みの間に足りない頭をこねくり回して、「神の啓示を受けた悪党退治専門の暗殺者」という、厨設定むき出しの男の浪漫を体現させました。
なんかラノベにありそうですが、自分はラノベをほとんど読んだことありません。
むしろ、今までに浴びるように見てきた無数のアクション映画の中で、ジョン・ウーの「男たちの挽歌」でやっていた装弾数無視のド派手なガンアクションが好きすぎたので、その影響をもろに受けた世界観になっていました。
で、自分で書いといて、「自分を完全主人公に仕立てて、悪の軍団を壊滅させ、しかも血の繋がらない妹と結ばれる」という内容で照れ臭すぎたので、新学期の講評では、一人で勝手に恥ずかしがってコチコチに固まっていました。
自分を主人公にして、こんな願望フル満載なファンタジーを描いている人など皆無だったので、浮きに浮きまくって、先生からも苦笑されながら、なんかスルーされました。
「俺、歳食ってて萌えとかわかんないから、なんて言えばいいかわからない」というのが先生の講評でした。
同級生の男連中は、何も言わずに下を向いて苦笑していました。
同級生の女連中は、何も言わずに遠い目をしていました。
自分だけすごく浮いていて、恥ずかしいことこの上なかったのですが、後で、仲良かった同級生にこのことを聞くと、男連中には実はウケていたそうです。
「10年後の自分といっても、まじめに考えると面白くなくて書けない」と、どうやらみんな思っていたそうです。
自分は、その偽りのない本音と、自分が好きなものに正直に向き合った結果、「10年後なんてどうなっているかわからないのだから、自分をスーパーヒーロー化する」という選択を取ったわけです。
「お前みたいな奴がヒーロー気取ってかっこつけてんじゃねえよ! 鏡見ろよ!」という罵詈雑言が多方面から浴びせられそうな暴挙ではありましたが、「美男子じゃなきゃヒーローになってはいけないなんて法律はない! 俺の脚本では俺がヒーローになる権利がある! 俺が主人公になれる世界は俺が創る!」という気持ちだけは確実にありました。
そんなこんなで、「特攻戦士神風」シリーズの原型となる脚本が創造されたのです。
20年越しに「特攻戦士神風」の本格始動を目指す
「特攻戦士神風」の原型となる脚本が書かれたのは映像学科3年生の時なので、21歳ということになります。
「鬼神童女遊侠伝」シリーズの次に思い入れの強い世界観だったので(なんせ、自分が主役になれる)、本当に10年後に映画化を実現したいという気持ちがありました。
そのため、31歳くらいの時に殺陣を習おうかと、新宿の殺陣教室に体験しに行ったりしました。
ただ、わざわざ交通費をかけて都心まで殺陣を習いに行くのが面倒くさいと感じたというのと、「特殊なスタントでもない限り、基本動作は独自研究できるかもしれない」と思ったりもして、正式入会は保留しました。
そこから、独自の俳優養成機関「鬼姫流演武術研究会」の構想が始まり、家の中で一人でもできる、空拳術や剣術や短刀術の基本動作研究が始まりました。
「鬼姫流演武術研究会」は、文字通り、「鬼神童女遊侠伝」シリーズの殺陣の様式を研究するためのものであります。
「鬼神童女遊侠伝」シリーズのための制度ではありますが、ひとつの目的のために基本を習得すれば、他の目的でも応用が利くようになるので、「特攻戦士神風」だけでなく、あらゆる派生作品や外部作品の殺陣にも活用できる、ということになります。
そのため、「鬼神童女遊侠伝」シリーズと「特攻戦士神風」シリーズを二大基幹作品として、映画制作と俳優養成を軌道に乗せたいと考えました。
とはいえ、あくまでも「鬼神童女遊侠伝」シリーズが鬼姫狂団の本筋であるため、「特攻戦士神風」を映画化するまでの余力がなく、保留の時期が長引きました。
その間、絵本「鬼神童女遊侠伝/わらべを喰らう猫女」、漫画「鬼神童女遊侠伝/猪男の大城砦」を出版し、長編実写映画のための絵コンテ「鬼神童女遊侠伝/まさかり担いだ熊男」を公表し、婚活短編映画脚本「神様の縁結び~試練と会遇の山峰~」を公表し、短編映画脚本「鬼神童女遊侠伝/もぐら男の穴掘り地獄」を公表しました。
着実に脚本執筆能力を向上させつつ、自分の得意分野の方向性が確立されてきました。
31歳から何年も経ち、10年後の自分どころか、20年後の自分に近づいてきました。
ここまで方向性を確立させた原作脚本を公表し続ければ、さすがに映像制作の説得力と本気度が伝わるだろうと、「鬼神童女遊侠伝」シリーズと並行して、「特攻戦士神風」シリーズの本格始動を目指し始めました。
もはや40歳近くになってきましたが、若い男性が「イケメンイケメン」とちやほやされるのは日本くらいのもので、ハリウッド映画などは圧倒的に40代以上の「おじさん」が主人公だったりします。
実社会でも労働人口の高齢化が進んでいるため、40歳の男ならまだ若い、くらいの感覚になってくるのではないかという予測もあり、「特攻戦士神風」シリーズの土台から練り直しました。
で、映画を作るにしてもお金もないので、「とにかく最低人数で短く安く撮る」ということを課題とし、鬼姫狂団の最高幹部募集に当て込んで、一発ネタの短編「特攻戦士神風/五分間七人討伐」の脚本を公表しました。
この、「五分間七人討伐」において、「神の啓示」という設定が明確に「お凜様の託宣」となり、「鬼神童女遊侠伝」シリーズと有機的に結合することになりました。
特攻戦士神風は、自分自身の理想像
学生時代に描いた原型となる「特攻戦士神風」の主人公は柏原銀次郎という役名ですが、それは「熊男」以降主要人物化する「堅気の侠客で旅館主」の入間原堅次郎の原型となります。
これは、他人ではなく、自分が演じることを前提として創り出された架空人物であり、理想化された自分の分身であるため、自分として生きていること自体がそのまま役作りになります。
民富田智明は、俳優に憧れていて、人形劇団に在籍していた時もありながら、どうも他人を演じることは苦手かもしれないと気づいていたので(他人が書いた脚本も深く読み込めない=相当面白くないと興味が持てない)、自分を演じるしかないと割り切りました。
とはいえ、自分の実像など面白くもなんともない、ただの内向的で人見知りなコミュ障なので、そのまま演じてもどうにもなりません。
なので、極端なまでに理想を投影して、「口下手で鈍臭いけど、同じような気質の若い衆には慕われる。本当のところ、気が弱いし、腕っぷしはそんなに強くないけど、その辺の弱点は銃器と爆弾の破壊力に頼り、なんかかんだで最後は勝つ」という、欠点を逆手に取った役柄にしようと思っています。
警官でも軍人でもなく、武道経験もなく、いじめられてきたような自分が、スティーブン・セガールのような無敵の主人公を演じるのは、嘘くさくなってしまうのです。
自分じゃないと描けないし演じられないヒーローというのは、極限まで自分を掘り下げた先に見出したヒーローなのではないでしょうか。
単に過去の名作映画を表面的になぞって真似すれば、自分がヒーローに見えるかといえば、おそらく違うのだと感じています。
「特攻戦士神風」シリーズの基本路線
新生「特攻戦士神風」の基本路線は、「入間原堅次郎扮する特攻戦士神風が、少女誘拐犯を退治して少女を解放し、少女に恋心が芽生えて妹になる」となります。
毎回違った少女が妹として恋愛の相手役となるのは、男の浪漫の代名詞たる「007ジェイムズ・ボンド」の作劇を踏襲しています。
「007」と明確に違うのは、「妹萌え」に特化しており、悪者に誘拐されるのが小学生から高校生までの少女であり、一夜限りの体の関係ではなく、妹として心の契りを交わし、物語外でも、公平に付き合い続けるということです。
堅次郎が救った少女は、みんな堅次郎の妹として関東入間屋一家の一員となり、旅館の仲居として活躍するのです。
少女たちが年食ったからお払い箱、ということもなく、年食っても一緒に活動し続けるのが、「兄妹の契りの重さ」なのです。
自分も年食っておじさんになり、おじいちゃんになっていくのですが、少女たちがおばさんになっても、妹は妹であり続けるのです。
「007」ですら2、3年、長いと5、6年は新作までの間が空いているので、連作作品として時間経過を考慮すると、「ヒロインはどんどん新しい若い子に」となりますが、それは「恋人をとっかえひっかえしている」のではなく、「公平に愛する妹が増えていく」ということなのです。
しかも、必ずしも全員と体の関係になっているというわけでもなく、より純粋な心の関係になっているのです。
無論、心で純粋につながった兄妹関係なので、必然的に妹の方からより濃密な体の関係を望んでくる、ということはあるかもしれませんが。
基本的に、20歳から30歳離れた小学生から高校生の少女が恋人役なので、「007」よりプラトニックな恋愛を志向しています。
そもそも、入間原堅次郎には、お凜様と同化した入間原清子(旧姓・春小路清子)という最愛のお嫁さんがいるので、そちらで愛の炎は激しく燃え上がっているのです。
「特攻戦士神風」シリーズは、血みどろの暴力との闘いというB級一直線の活劇ですが、本質的に描かれているのは、「普遍的な男女の恋愛」といえるかもしれません。
「特攻戦士神風」シリーズの舞台背景
「特攻戦士神風」シリーズは、主人公入間原堅次郎が本拠とする「関東入間屋一家」の面々との日常生活と、宿敵「関東脅征会」を中心とする世界的な少女誘拐組織との対決が軸となります。
関東入間屋一家
関東入間屋一家は、現実の会社名にも採用していますが、物語上の設定としては、堅気の侠客入間原堅次郎が創設した新興の博徒一家で、料理旅館兼護身術道場を営んでいます。
若い衆は全員護身術道場の門弟であり、堅次郎の生計の大部分は道場の会費収入で成り立っています。
女将の清子の料理が目当てで泊まりに来る客はいますが、一大観光地というわけでもないため、旅館としてはそこまで繁盛しているわけでもありません。
宿泊料金だけだと一家の若い衆を食べさせていけないので、公式サイトに広告枠を大量に作り、若い衆に広告枠を売ってもらって報酬を払っています。
若い衆は、内向的だったり、口下手だったり、鈍臭かったりするような、一般的な会社への就職では不利になるような、社会的に立場の弱い者が多く、いじめられた経験のある者も割と多くいます。
けれども、特定の学校に通わないと取れないような特殊な資格を取ったり、目指している者もいて、社会性以外では意外と有望だったりします。
「自分の弱さ」に悩んでいるため、「強さ」に憧れがあり、堅次郎・清子と共に護身術の研究に取り組んでいます。
一般的な会社では求人に応募しても、何かと理由をつけて門前払いされてしまったりする者が多いですが、一家では、公平に会費制有志団体にして採算を取る代わりに、業務委託の個人事業主から一般社員に移籍する形で、選り好みなしで受け入れられています。
鬼姫山三神が一家の家族神であり、主神のお凜様が清子と同化しているため、若い衆は「神と共にある者である」という自負があり、篤い信心を持っています。
関東脅征会
関東脅征会は、東京に総本部を構える広域暴力団で、一都六県に傘下団体を張り巡らして裏の世界で勢力を誇っている巨大組織です。
関東だけでなく、日本国内、さらに国外にも直接の関連組織や友好組織があり、構成員は総数で数万から数十万とも推測されます。
建前として「任侠」を掲げる一般的な暴力団とは違い、明確に「脅迫と征服」を前面に出した犯罪集団として、あらゆる非合法な活動を行っています。
表向きには「合同会社総合共成集団」という一般的な会社を装っていますが、警察からは完全に監視され、摘発の対象となっています。
暴対法の締め付けが厳しい世の中にあって、堂々と脅征会の名前を出して汚い金を稼いでいる、ある意味では潔い悪の軍団です。
刀剣や銃器や爆弾を内部で密造する能力があり、国外からの密輸入に頼らずに安価で武装を可能にしています。
末端組織からの上納金により莫大な資金力があり、表面的には末端構成員まで大切にするように見せかけて、問題が生じれば簡単に切り捨てる非情の集団です。
構成員は、脅征会の名前を使って高額な収入を得ることもできますが、一方で、統制のために厳しい血の掟が掲げられており、命令の不履行や、警察や対立組織への密告や、組織からの脱退は固く禁じられ、一族郎党のみならず友人恋人など関係者の死によって償わされます。
とてつもない強大な組織のように思えますが、厳しい掟で縛らないと制御できない粗暴なだけの烏合の衆の集まりという実態もあり、末端の構成員のレベルでは、どうにもならない輩も多いとされています。
堅気に対しては暴力を背景に強く出ますが、警察と全面対決することは避けようとします。
警察が動くと上層部から摘発されてしまうため、警察に目撃されたり、通報されることを最も恐怖しています。
そのため、犯行が発覚しないように、事件の関係者は、巡回の警察官を含めて、確実に口封じで殺害され「失踪者」にされます。
そういう意味では、やはり恐ろしい犯罪組織であるといえます。
関東入間屋一家の入間原堅次郎とは、「白馬の王子事件」で白馬組組長の白馬王子を倒されてから報復の対象として敵対関係になっています。
敵対していますが、「春小路抗争事件」で白馬組幹部の黒馬の騎士団をはじめとする多くの構成員を倒され、白馬組を壊滅させられたため、畏怖を覚えて停戦状態になっています。
組織立って関東入間屋一家に全面抗争を仕掛ける気配はなく、「末端の構成員が勝手にやったこと」として、堅次郎を消すための悪だくみを画策しています。
これら、二つの集団の対立が核となって、「特攻戦士神風」シリーズは物語が構成されます。
「鬼神童女遊侠伝」シリーズとはまた違った、等身大の人間による生の暴力闘争が繰り広げられるのです。
二人の中心人物、堅次郎と清子
「特攻戦士神風」シリーズの中心人物は、入間原堅次郎と清子の二人です。
「鬼神童女遊侠伝」シリーズ現代劇版の中心人物も堅次郎と清子ですが、「特攻戦士神風」は、明確に堅次郎が主人公となります。
入間原堅次郎
入間原堅次郎は、お凜様の託宣を受け、悪党退治専門の掃除屋「特攻戦士神風」に変身する能力を授かった選ばれし侠客です。
堅次郎は、堅気の博徒一家「関東入間屋一家」の創設者で、元々はタクシー運転手や交通警備員として勤務していた、うだつのあがらない、何者でもない一般人でした。
しかし、「白馬の王子事件」で関東脅征会の魔の手から清子を救い、「春小路抗争事件」で関東脅征会の報復で殺害された清子の両親の仇を討ったことで、堅気でありながら侠客として武名を上げることになりました。
その後、清子と共に2人で一家名乗りをして、小さな料理旅館兼護身術道場「入間屋」を開業しました。
そして、妖賊軍団「関東股間使隊」による「早抜きの股間使郎の襲撃事件」がきっかけで、堅次郎の守護神であるお凜様と清子が同化し、お凜様と共に暮らすことになります。
清子が暴力による理不尽な仕打ちに遭った過去から暴力を憎んでいたため、お凜様に「直接は手を下せない人間界の悪を根絶やしにせよ」と託宣を受け、「特攻戦士神風」になりました。
普段は堅気の旅館主として真面目に暮らしながら、人知れず世にはびこる無法者を掃除する使命を果たしています。
入間原清子
入間原清子は、お凜様と同化し、邪悪な妖賊を退治することができる「鬼神童女」に変化する能力を授かった選ばれし女傑です。
清子は、小さい頃から少女漫画が好きで、お姫様願望が強く、自分を迎えに来る白馬の王子に憧れていました。
武州の名門武家「春小路家」の一人娘で、時代が時代ならば本当にお姫様なのですが、この令和に時代においては、家名だけが存続し、武家の特権などなく、どこにでもありそうな一般家庭と同じような平凡な暮らしをしています。
武家の娘でありながら、気質は文化系で運動も苦手であり、家伝の武芸も習得していません。
絵を描くのと歌うのと踊るのが好きで、料理が得意な、控えめで大人しい女の子です。
学校ではなぜかいじめの対象にされて不登校になり、私服制の通信学校に通っています。
通信学校は私服制ですが、元の学校の制服がブレザーで伝統的なセーラー服に憧れていたため、汎用品のセーラー服を普段着兼用で着ています。
セーラー服は本来海軍の水兵が着る軍服なので、セーラー服を着たがるのは、もしかすると武家の血が影響しているのかもしれません。
高校生の時、「白馬の王子事件」で関東脅征会の構成員に誘拐されて強姦されそうになり、たまたま現場に居合わせた堅次郎に救われて恋に落ち、結ばれました。
幸せな恋路が開かれるかと思いきや、「春小路抗争事件」で関東脅征会の報復に遭い、両親を殺害されるという悲劇に巻き込まれました。
恋人の堅次郎が両親の仇を討ったものの、その精神的な傷は深く、後遺症が発現するようになりました。
高校卒業後は、元陸上自衛隊の炊事隊長だった伝説の板前毛石雷白先生に「包丁などの調理器具を用いた、美味しくて身も守れる、沈黙流護身料理術」を学び、堅次郎と「入間屋」を開業しました。
関東入間屋一家の初代姐御となり、護身術も習得しましたが、か弱い女の子であることは変わりませんでした。
しかし、妖賊軍団「関東股間使隊」による「早抜きの股間使郎の襲撃事件」でお凜様と同化することで、「鬼神童女変化」の能力を獲得し、名実共に最強戦士として活躍することになりました。
清子は、本来は争いなど望まない穏やかで優しい女の子なのですが、お凜様と一心同体となり、望まぬ悪と戦い続ける定めを背負うことになります。
想定される支持者層
「特攻戦士神風」シリーズの支持者層は、基本的に、小さい頃からアクション映画が好きで、暇さえあれば頭の中で「自分が最強主人公だったらどうなるだろうか」と無駄に切羽詰まった悪党100人組手を空想しているような、ヒーロー願望をこじらせたボンクラです。
「なんとか芸術映画祭」で賞を総なめにするような、頭のいい、優等生的な映画などまず見ないような、銃撃戦と格闘戦と車両追撃戦にしか興味がないような、中学生感覚のボンクラです。
しかも、人生どこかつまずいているような、決して華々しい一本道を進んでいないような、うだつのあがらないボンクラです。
ボンクラの心を鷲掴みにするには、同じボンクラでないとダメだということで、徹底的に中学生感覚であり続けたいと思っています。














